第二百章:学びたい者

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂き、後はどの章から読んでもかまいません。但し、必ず、全ての章を読むこと、それが絶対の約束です。

 

学びたい者

 

神の教えを学ぶ

人は学ぶことにより成長します。もし、そこに一張一弛(厳しさと寛大さをもって教える者を弓のごとく表す)な者がいれば、より人生を学ぶことができます。

学ぶというのは、どうすれば他者に優しくできるのか、どうすれば助けてあげられるのか、常に他者のことを思う心こそが、最も重要な学びです。

もし、牛や豚や羊や馬がとさつ場でどのように、死んでいくのかを見るために、とさつ場の壁を取り外して見れば、どうなるのでしょうか。きっと多くの人は、その場所を避けて通ることになるでしょう。そうです、食べることを止めず、見るのを止めるだけです。

それよりも前に学ばなければならないのは、彼らがとさつ場に行くまでの育てられ方を学ぶことを重視すべきでしょう。彼らへの虐待とともに学ばなければならない。

神は輪廻転生の意味を知らぬものを見れいる

神は、いつもそのようなことを感じて、私のところに来る者は少なく、苦しみの場所に行くのであろう。輪廻転生をしてきたというのに、そして、神の化身まで使わせ、わかるように話させているのに、学ばないものなのだ、残念なことだな。とあなたのことを見ている。

でも、とさつ場の中の撮影が禁止されなければ、学ぶ者が出るかもしれない。

小さな蚊ですら、自分がどこに行けば食べ物があるかを学んでいる。

この世で学ぶ機会が溢れる中にいる動物は人間だけです。

学ばない限り、決して答えを知ることは無く。答えを知りたければ、質問を知らなければなりません。質問を知りたければ、学ばなくては質問の意味がわかりません。

神の話を学びたい者

学びたい者が、難しい話をする宗教家が話しているのを聞きに来ました「真理」についてのことらしいが、学びたい者には、話が珍紛漢紛でした。しかし、学びたい者は、せっかく来たのだから、最後まで座って居ようと思って座っていました

そして、宗教家の話が終わりました。

宗教家は、学びたい者の前に来て、私が話す神の話をじっと聞いていたね。君だけだ、微動だにせず最後まで聞いていた者は、私の話に興味があったのかいと学びたい者は聞かれ、興味はすごくありますが、何をおっしゃっているのか、私にはさっぱりわかりません。

そうか、私の話が分からなかったのか、それでは私が勉強をして皆がわかるように話せるようにしてくるので、その時には是非聞きに来てください。

宗教家は、わかりやすく書物を書き直そうと考えながら家路に向かう途中、考えてみたら、私の教えを行動に移している人達を、見たことがない、行動に移さないのは、私の話が難しと言った青年の言う通りなのだと考えながら家につきました。

そして、妻に、私はこれまで、私の話を聞いてくれている人たちがいると思っていた。どうも違うような気がする。

私の着る宗教服に、ありがたみを感じて話を聞きに来ていたようだ。「どうしてですか」と妻が聞くと、今日一人の青年が微動だにせず、私の話を始まりから終わりまで聞いた。

よほど、私の話に感銘したものと思って青年に声を掛けたら、私の話は全く分からないと答えた。私は今日からわかりやすく物事、真理、悟り等を話すために、今までの私が書いた書物等を自分でも読み直し全て書き直すことにした。

宗教家は、それから何日もかけてわかりやすいように書き直して、学びたい者の村へ向かった。

学びたい者は、そこに来て座っていた。そして宗教家は、皆にわかるように皆がつかう言葉をできる限り使い、真理を説いてみた。すると多くの人が涙を流して、話を聞いてくれた。

宗教家は、学びたい者のところに行くと、涙どころか何も感じていない顔をしている。

宗教家は聞いてみた、青年の言う通りに、わからない人たちに理解していただくために、書き直してきたが、まだ、だめなのか。

神の教えを学びたいと願う人

学びたい者は、あなた様は何を話されているのですか、私に教えて頂くことは出来ませんか。教えて頂く代わり、私が働いているところで農作物を分けてもらい、それを持ってきます。

宗教家は、初めて知った。学びたいのに、学ぶことができないで、ここまで来たのであると。

宗教家は、君が学びたい代わりに私に農作物をわたすというが、私は君から学んだ。私は出来る限りの時間をかけて、学ばなければならないことを、全て教えてあげよう。

学びたい者は、それから農作業が終わると、その日にとれた一部の農作物をもって、いらないよと言った、宗教家の家に通った。

宗教家はいつも、今日はここまで学んだ、学んだことは行動に移さなければ何の役にも立たない。

難しい書物が読めて理解ができても、それを世のために使わなければ、難しい書物を理解して、何も行わないのは、汚れた雑巾で直に窓を拭くのと同じで、何の役にも立たない以上に、聞きに来た人々の大切な時間を無駄に使わせただけになってしまう。

学びたい者が学ばせるようになった

そして、学びたい者は、五年後に宗教家が亡くなった跡を継いで、真理について宣明し、わかりやすく説いて回った。

そして、質問があればすべてにわかりやすく答えてあげた。

学びたい者は、学んだ者となり、学んだ者の話を聞くために沢山の人が集まり、沢山のお布施が集まり、そのお布施で、自分の師の夢でもあり、大切な教えを聞く人々のシンボルともなる建物を建てて、学ぶことがいかに簡単なのか、学ぶことがいかに大切かを説いた。

そして学んだ者が、何よりも学んだことは、学ぶとは本を読むよりも、人のために何をすべきかを考え、人を助ける行動をすることが、全ての学びの成果であると説き、自分自身でも行動で示した。

学ぶ機会はどこにあるのかわからないでしょう。でも、どこにでもあるのです。今、あなたも学んでいるのです。後は、学んだことを行うだけです。それが、神の七つの掟です。

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身より

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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