嘆き:第五百十三章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

嘆き

 

嘆き

あなただけに話す日が来た。

あなたはどうして嘆いてばかりいて、前に進めば次には歩みを止めて、また、嘆きながら今日という日が過ぎていく。

その嘆きは、あなたの責任ではなく、あなたのそばにいる者への執着から抜け出せないでいることや、何もできない己に嘆いている。

あなたの嘆きは、はじめを忘れ、最後に期待をしているからであり、最期を期待せず、最後に慎むのであれば、はじめを忘れないで、良いだけのことなのです。

軽々しく始める者は、期待よりも日常として受け入れ、安易に見えて、安易ではなく、多難に見えて、多難ではなく、脆いようで、崩れることはなく、不安なようで、不安を知らない。

利することを望まなければ、そこに利益が現れる、利益が現れれば、それを困っている者へ配る。

 

道理

この話は、全ては逆が道理であり、その道を行けば、嘆きから抜け出し、あなたのそばにいる者も、あなたに信憑を覚え、あなたをよりどころとする。

玄同と彼我の別なく、二人は深奥の中を無為自然と、欲望も智慧も働かせることなく、一本の道を歩いていくことができる。

あなたは、人と成るとも、あなたのものとは思わず、支配してはならず、常に立場を尊重し合うようで、立場など気にすることも忘れる者となる。

あえて耳目を忘れ、聞くことも、見ることも無く、同じように笑顔で、あなたの一日が過ぎていくのです。

条理に優れた者は、物事の筋道は知っているが、作為も積りも持っていて、それを離そうとはしない。

尊ばれる者は、作為も積りも持つことを忘れ、だからといって、そのようなものがいかに不要かを知って、道理を歩いている。

 

この世

この世で行うべきことの為に、行うべきことを見ようと、つま先で立ち覗いているのならば、向こう側を見る前に、倒れてしまう。

この世で行うべきことは、既に行っているのだから、つま先で立つことなど、愚かな考えは持ち合わせてはいないだろう。

かるが故に、いつも、あなたの目の前には、チャンスが与えられているのであり、常にチャンスを生かすのならば、あなたの嘆きの要は、あなたが願うことを既に捨てているのだから、願わずことで、願っていた始まりが、あなたに与えられるだろう。

あなたは、あなたの道、人生という道が、無停止であることを知る必要もなく、この世に生まれ来た、その意味さえも忘れ、留まることもできない無停止の道を歩く。

誰もが一度は、時が止まればと思うが、時は止まることも、戻ることも無く、無停止と進んでいく。

 

嘆きが消える

過去の嘆きは、今のあなたが、今の思いや、不安を捨てる術を知ることも無く、チャンスに出くわすことに喜びを覚えている限り、嘆きがあなたを襲うことも無くなる。

あなたへの話を、誰かが聞いているのならば、その者は、あなたのように、仁の頂きに立っていても、作為は未だ離れずに生きているが、あなたの話を聞き、己を改めることだろう。

博愛を持つ限り、不遜という思いあがる者に、障害を持つ子供が生まれても、この子が生まれてくれてありがとうと慈しみをもって育て、不遜が無くなる。

 

後を慎む

ここまでの話で、分かることだろう。物事の道理は、全て後に慎むことが、本来の姿を形成し、はじめの思いの如きことは、知らぬ間に、不善でない限りは、終わりについてくる。

そうして、手に入れたものをあなたは、智慧を働かせることも無く、必要とする者に分け与えては、小さな幸福に包まれ、嘆きの時を終わらせていく。

あなたの誤謬は、足るを知らぬより、全く小さなものであり、考えることも無く、ただ歩きながら、倒れた者に声をかければ、それで誤謬は償うことができる。

これが定めと、縮こまっている者がいるのなら、今日の話を聞きながら、行為を行ってみなさい。

あなたと話せて、私はとても良かった、ここに来ている者の中には、未だ傲慢で驕傲な者たちもいるが、その者たちも、早く後を迎えて慎む日が訪れ、遜り生き、他者を助ける者となる。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身