阿呆の意味は純粋:第七百二十七章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

阿呆の意味は純粋

 

阿呆の意味は純粋

今回は、下記のお手紙を相談フォームから頂きました。
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質問です。
他人に親切にすること、電車で席を譲ること、雨の日に傘を持たない人に傘を上げる。
このようなことだけで天国に行けるのであれば、天国には誰でもちょっと頑張れば行けると思うのですが、そんなに天国に行くのに甘くて行けるのか不思議でなりません。
考えるにはもっと大きなこと、電車に飛び込み自殺をしようとする人を助けて自分が死ぬとか、神社の神主になってみんなの幸福をお祈りをして一生を生きたりとか。
質問です。
アホになれということが書かれていて、知恵を持ってはならない。とも書かれていますが、アホには何もできなく思います。知恵があるから良いことを考えられるので、戦争をなくす方法を考えたり、国民が安心や幸福に暮らせる方法を考えられます。これは事実だと思うのですが、いかがでしょう。
質問です。
怒らないで聞いてください。あなたは神様のようですが、神様というのであればなぜみんなを幸せにしないのですか。
質問です。
何故動物を食べてはならないのですか、お肉やお魚には人間に必要な沢山の栄養が含まれていて、野菜だけでは補えない栄養分もありますので、人間に食べさすために神様が作られたのではないでしょうか。
質問です
神様である証拠を見せるべきだと思うのです。多分このページを見たみんながそう思っていると思うので証拠を見せて頂ければ、神の七つの掟を始めます。
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お手紙ありがとう。

 

神である証拠

大変面白い質問であるが、宣なる哉であり、道理であると言っているように、答えは何度も書いているので、ここで改めて書くことも無いでしょう。

全章を時間をかけてでも、改めて読み直すことは、あなただけでなく、あなた方全員が行うべきことです。

読み直せば、こんな章があったのか、こんな風に書かれていたとは気が付かなかったなど、読み直すたびに、違っているように思う。

なぜ、違っているのか、それはあなた方が成長したからであり、それを知る上においても、必ず、時間を作り過去に遡りながら、読み直していきなさい。

但し、何度もいうが、神の七つの掟を行為として没頭するためには、読む必要は無い。神の七つの掟に没頭できないのなら、読み直しなさい。何度も何度でも。

 

神の話を読み直す

私は、話すことを惜しんでいるのではない。ただ、徳を積み進んでいる者が沢山いる中で、あまりにも話しすぎたくらいの、あなたの質問に応えるのに、この章を使うことは、その者たちにとっては、何も違った角度から学ぶことが無くなってしまうからである。

手漕ぎの船に乗り、船を出すあなたを、思い浮かべなさい。あなたの船は、どこの港から出て、どこに向かって行くのだろう。

始まりの港は、誰もが同じであり、ただ違うのは、海が荒れる回数や、何度も起きる嵐で、船が転覆してしまったり、しかし、その船を元に戻して、迷いを捨てて、決めた港に、船が着くかどうかである。

目的の港に着いたときに、能事終われりと為すべきことを成したと、喜びに泣き叫ぶ、その先にこそ、あなた方が、今生に輪廻転生をしてきた、あなたの決めて来たことを、やり遂げたことになり、神となる。

もう一つの方法があるが、これこそが簡単そうで、簡単には出来ないこと、神の七つの掟、そのものであると言えよう。

それは、港を後にしたのなら、大海へと漕ぐのではなく、川下へ向かい、川上へと漕いで、川上を目指す。

川は、荒れ狂うこともなく、船が転覆することは無い、但し、時に大雨が降り川の流れが急になり、力の限り漕ぎ続けなければ、あっという間に川下へと戻されてしまう。

川の流れが急にならずとも、川の流れは止まることなく、川上から川下へと流れている。だから、常に漕ぎ続けなければならないが、ただ、それだけでよい。これが、神の七つの掟の行為を行う事を意味している。

 

手漕ぎの船

今回の相談者への、答えの一つとなるだろう。もちろん己の命と引き換えに、見知らぬ者を助けたという行為は、神の七つの掟の一つとはなるが、あくまでも一つとなるのである。

神に手を合わせて、皆の幸福を祈ることも善いことではあるけれど、ただ祈るだけで、行為に移さないのであれば、残念だが左の道を選ぶことになる。

ここに呼ばれた者達は、皆が阿呆にならなければならない。私が言う阿呆とは、純粋、ということであり、他者を助けることも知らない、阿呆ではない。

智慧者になれば、純粋になることは出来ない。純粋でなければ、とっさに体が動き、他者を助けることは出来ない。

あなた方が決めて来た苦しみの世で在り、そのハードルを飛び越えながら、他者を助けて生きて行くと、あなた方が決めて来たのである。

それにも関わらず、私が手を貸すことは、あなた方が決めて来たことを、御座成りにすることになり、その場から逃げることで、左の道へ行く。

左の道へ行かせないためには、あなた方が今生で行うと決めて来たことに、私が手を出してはならないのである。

手を出せない代わりに、善人となるために一つ教える。あなた方が行ってはならいと思うものや、あなた方の中や外に忌み嫌うものから決別したいと思ってはみても、そのものがあなたから離れようとしないのであれば、一度あなたからそのものと共にすることである。すれば、その理由が分かり、あなたはそのものと決別が出来る。

 

忌み嫌う

私が神であることを、信じることが無くても、それはどちらでもよいことであり、何度もいうけれど、私は大木の神が私に託した人だけを、そしてその人たち全てを、神にするために来ただけであり、後は、あなたが判断をしなさい。

しかし、すでに左へ向かった者もいる、そして、右へ行ってくれた者もいる。私が神である証拠を見せるのは、簡単で在り、今すぐにでも行える。

それでは、ご褒美が目の前に現れ、本当にもらえると知り、ご褒美があるから行為を行う事になるだけであり、それでは、神の七つの掟以前に、前世までの罪、今生での罪の償いにはならないことぐらいは、わかるだろう。

ただ一つ言っておくが、神の七つの掟の行為を、己の中のあなたという神が、斃れても後已むというのなら、やり切ったのだから、その前に、私はその者に、必ず会いに行く。

この世にいながら、神と会いたいのなら、善行を行い、徳を高め、苦しむ者を貴び、今から緒に就きなさい。

私は、あなた方、全ての者の前にすでに現れている、しかし、私が話しかける者と、話しかけない者がいるのは、必要かどうか、然り而して、いることへの流れであったり、私に気が付かないあなたがいるだけである。

最後に左か右かをあなた方が選んだ時にも、私はあなたの傍にいる。そして、あなたは私を見て、手を合わせる。

右へ行く者は、友となり感涙を流し、左へ行くものは、悔やみ嘆きの涙を流しながら、歩いて行く。

私は、あなたが読み直すのを、じっと見ている。虎視という目かもしれない。そして、あなたを必ず、天国へ行かせる。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の言葉:これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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