輪廻転生

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

輪廻転生

輪廻転生はすべての章に書かれている、神の化身の根幹です。全ての章の中から、最初の一部の章だけを抜粋しましたが、ここに来た限り、最後のチャンスに「輪廻転生と神」の全ての章を読んでください。その代わりに、必ず、望みを叶えます。

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輪廻転生-善と悪

 

神 天国 善 悪

輪廻転生、生まれ変わり、この世で生きている人が、「生」を亡くしてから、「あの世」にいくと、何が待ち受けているかから、お話をしましょう。

生を亡くすということは、肉体を無くすということです。

要するに、生を持つ人は兩を持っているのです。

その二つとは、

肉体=溺れる心:この言葉を以下、「悪」と呼ぶことで分かりやすく、なるかと思うので、「悪」としましょう。

魂=償う心:この言葉を以下、「善」と呼ぶことで分かりやすく、なるかと思うので、「善」としましょう。

 

では、生を無くした時に人はどうなるのか、それは肉体を無くしたとき=「悪」を無くした時です。

善とは神と呼ばれるものがいる、生まれ変わること輪廻転生のない天国に行くことを望みます。

はじめの書きはじめ

これからは、鴻恩のため、鱗次のように綴り、その基礎をもとに全てがつながります。

 

 

輪廻転生-裁判官

輪廻転生50

生を無くした瞬間は、生を無くした人によって時間が全く違いますが、いずれにしても、あの世(例え)の入り口に入ります(輪廻転生、生まれ変わりの逆の入り口)。

この時に人は「善」である魂だけになって、「悪」は一切存在しません。

善の塊の魂とは、悪いことを全く考えられない状態です。

ようするに悪いことを「この世」でおこなって「あの世」にくれば、それを究極に「悔やむ」のが魂です。

さて、肉体(悪)を無くした人たちは「善」のみになり、あの世の入り口に入ります。

あの世の入り口を入ると、神ではなく裁判官(例え)がいます。

裁判官は、優しく、その椅子にお座りください。あちらを見て下さい。あなたが生まれてから、亡くなるまでの全てをお見せします。

すると走馬灯のようにあっという間にすべてを見ます。

あなたは肉体を亡くしたのだから、悪がなく、善の塊です。

そして、あなたが自分で天国か地獄かを、あなた自身で決めるのです。

地獄はあなたのあなたが作った地獄であり、神も誰も作ったのものではありません。

裁判官といっても、命令をされることはなく、本当にやさしく、話をしてくれます。

 

天国と地獄への階段

裁判官は、あなたに聞きます。天国か地獄のどちらに行きたいのでしょうか。右の穏やかな道を登れば天国です。左の坂を下れば、地獄です。

右か左か、決めるのはあなたなので、さて、どちらに行きますか。

 

輪廻転生-Ⅰ子どもが親を選ぶ

輪廻転生-19

今回のお話は、輪廻転生と子供の話を記しましょう。

天国に行った人は、前にお話ししたように輪廻転生はありません。

生まれ変わるのは、地獄で数えられない月日、千年、過ごしてきた人だけです。

ということはほとんどの人が地獄を選択していますので、多くの人が生まれ変わるということです。

地獄へ行くことを神が決めたのではありません。決めたのはあなた自身です。

人間は、残念なお話をすることになるかもしれませんが、人間にしか生まれ変わることはできません。

生まれかわるときに、どのようなことをして生まれ変わるのか、その方法を大まかになりますが、お伝えしましょう。

まず、自分で勝手に作った地獄から出ます。

地獄から出ると、すぐに妊婦さんを探します。

この妊婦さん探しには人それぞれですが、時間がかかるものです。

なぜ、時間がかかるのかというと、地獄を選んだ自分自身が、罪の償いをすることができる家庭や環境、将来などを考え選ぶからです。

自分の犯した罪の償いのためには、いろんな環境を選びます。

ある意味、大金持ちの家庭の妊婦さんを選ぶ人もいれば、真逆の貧乏な妊婦さんを選ぶ人もいます。

妊婦さんの選び方は、人それぞれが「善の塊」である時に選ぶので、自分が苦しくなる家庭を選ぶのです。金持ちが幸せなんて嘘ですから。

俗にいう「子どもは親を選べない」ことは、その逆であることを知って下さい。

子どもが親を選ぶのです。

選ばれなかった妊婦さんは流産することになるか、生まれてすぐに死ぬかです。

この生まれてすぐ死ぬには二つの違いがあります。

 

輪廻転生-Ⅱ子どものまま死ぬ

 

輪廻転生17

子どものまま死ぬために生まれた子どもたちへ

私の書きかたを、冷淡に感じる方もいるかもしれませんが、哀傷のためでなく、選ばれた人たちに伝えなければならないことに、早くいきつくために書いています。

それを忘れないで読み進んでください。

流産の話は前回しましたので、死産の場合について簡単にお話します。

死産とは、地獄という自分で作った世界から出たあなたが、善となりあの世から、妊婦を探す中で、最後の最後まで悩み続けた結果、選択しなかった妊婦に、起こることです。

では、死産ではなく、心臓の鼓動とともに生まれてきたにもかかわらず、数時間や言葉が話せるくらいになって、死んでいく子がいるのでしょう。

人が生まれ変わるのは、「償い」という言葉のためであることは以前話しました。

でも、生まれて数時間や言葉も話せて一人で歩けて遊べて、それでも、死んでしまうのでは「償い」をしに来たことには当然のことながら、なりません。

これは、最初から魂が宿っていなかったからなのです。なぜ、宿っていないのに生まれてきて、死ぬことになったのかというと、授かった親「親」が選んだ、自分の前世やそれ以前の生の「償い」のためです。神が決めたのではありません。

流産や死産も、その中に多少は含まれますが、抱いた我が子のぬくもりということです。

償いにならない人もいますが、この話はいずれ書ければと思います。

 

輪廻転生-Ⅲ 償い-Ⅰ

 

輪廻転生-15

この章では、前世の記憶についてお伝えします。

さて、生まれ変わるということには「償い」という大義を持ってきます。

「償い」という大義を持って生まれ変わってくるのは、あなたが決めてきたことであり、神が決めたことではありません。

ただ、償いという大義を覚えていては簡単に部分的に抜粋して「償い」を行えば済むことになり、そんなために長い長い年月を、自分で作った地獄という世界で暮らしてきたわけではありません。

先にも話した中にありますが、生まれかわるには、まず、自分で想像して作った「地獄」から出てきていることが前提です。

この時点では、まだ、肉体はないので、善の塊です。

善の塊のあなたは償いを確実に履行させるために、今ある記憶をすべて無くすことを願います。

輪廻転生-16

「記憶を無くす願い」、、、、、ここで問題なのは「願い」は行ってはいけない行為なので、自分では何もできません。

あの世からの出口にいるのは、肉体を無くした時の入り口で現れた「裁判官」とは違いますが、同じように何でも聞き入れてくれ、その答えに導いてくれる仮名として「天使」と呼ぶものがいます。

そして、妊婦のお腹に入った時点で、あなたの生まれかわる前の記憶を消してくれます。

ここで疑問に浮かぶかもしれませんが「記憶を消す」と、誰に、または、何に、「償い」をすればいいのか?

また、自分の「罪」に応じた「償」ができる家庭を選んでいるのに、生まれると同時に両親がいなくなる?こともあるのは?

「償い」とは?「償い」とは特段前世やそれ以前の世で罪を犯した相手に直接行うものではないのです。

「罪」と自分が思う「心」を償う、ことなのです。ようは「罪」を犯した相手に「償い」を行う必要はないのです。誰に対して「償い」をしても、「償い」になるのです。

「償い」は、最も重要なことなので、いずれ読み進めれば、いくつかの章で分かるときが必ず来ます。

 

輪廻転生-欲望・我慢

 

欲望と我慢のイメージ

「欲望」と「我慢」との関係

天国には「簡単」に行ける。そしてその方法は到って簡単であることは、ここまでの章を読んで、わかったと、あなたには答えることができるでしょう。

しかし、「簡単」すぎることは、成長(※-1下方)とともに、逆の方向に進みはじめ、簡単から難しいとなっていきます。

それ故に、自身では人に説教ができても、それは、うわべだけの言葉であり、己の行動には移せない、大丈夫でしょうか。

「気づいた時」が、ここに来た今なら、今から初めても遅くないということです。

でも、明日に延ばせば、もう遅いことになります。

「簡単」な方法が、なぜ、行動に移せないのか。それは「我慢」ができないという、これもまた、単純な理由のみです。

「我慢」とは、あなたが輪廻転生、生まれ変わる前に自分で決めてきた七つの掟の一つで非常に重要なことです。

これは以前お話した通りです。

我慢に含まれるものには、「欲望に負けない」というものがあります。(※-2欲望)

 

欲望と我慢

この章の最初に、記したように、「簡単」というものは成長とともに、難しく実践できなくなってしまいます。

しかし、それを阻止してくれるのが「我慢」というものです。

「欲望」とは、これもまた、単純、簡単、なことで誰の心にも、我慢したいという本質があります。

その単純な「欲望」とは何か、について一つの例をあげましょう。

どれだけのお金をもっても、どれだけの思いで愛した人と結ばれようとも、「その上があるのではないか」と思い、今の自分を見失う世界も一つの欲望です。

この世という世界には、これだけ簡単な方法で、この世から去れる方法があるのに「一人」では「自分だけ我慢しても」等、なぜか、自分だけが正しいことを行うことを恥ずかしく思い、または嫌う人がいます。

そして、終いには他人が自分の言う正当性通りに正さなければ、許さない。

まるで、自分の言う正しさを理解しない人は、自分の敵だとまで考える。

はっきり言いましょう、あなたに敵など一人もいません。

でも、人には相反するものがあり学ぶこともあります。

相反するもの、、、、、、、、、、、、、それこそが、あなたです。

あなたの敵は、あなたです。

 

※-1:成長
ここで言う「成長」は、最初に話ししたように、年齢に関係なく、簡単に天国に行ける方法に「気づいた時」または、ここに来た時と出会った時からという意味です。

※-2:欲望
欲望とはなにか、という質問に答えるには相違する部分も多々ありますので、「欲望」には二つの種類があり、ここでは、そのうちの一つの種類をさしています。

 

輪廻転生-今の自分に満足と欲望

私は、第十四章でも【今の自分に満足・幸福だと思う】ことができますか、と、尋ねました。

ここで私がお伝えしたいことは、「今の自分に満足」ということは、ある意味、自分だけの世界の事であり、他人に無理に共感を求めることではないということです。

他人の悪事を見たら、注意をすることは絶対に行うべき行為であり、正しい行いです。

それにより、あなたが相手に殺されたとしたら、輪廻転生、生まれ変わる前に、あなたが決めてきたことなので、それでよいのです。

それによって、あの世に行け、あの世で「選択」することができるのですから、それは間違いなく善行です。

但し、ここで言う悪事は、あくまでも法の下や、地域ごとで定められた守られるべき、ルールやマナーの事をさしています。

成長

「成長」と欲望は、非常に密接な関係です。

成長すればするほど、見なくても、考えなくても、、、、、、というものが、どんどん膨れ現れます。

それにより、欲望は我慢というブレーキを失います。

ブレーキにはブレーキパットがあり、踏めば踏むほど、パットは薄れていき、最後には異臭を放ち、ブレーキの役目を終えます。

この時の異臭は、あなたが好む甘い香りとなり、寝ても覚めても、あなたの皮膚にまとわり付き、この世にいる間、二十四時間あなたから離れることはありません。

しかし、人によっては、眠っている間だけは安らかな時間になっているかもしれません。

但し、目を覚ませば欲望を持つすべての人は同じで、夢には出てきていたのに、現実にはないものを探します。通勤中も、仕事中も、友人といる時も、永遠と。

そうなる前に、せっかくあるブレーキパットを大切にして、「償」を完了させる事です。そのためにここに来たのですから。

すでにこの章を読んでいるということは、過去の章を読んできているので、簡単に天国(生まれ変わるがない世界)に行ける方法を学び気づいているということになります。

 

輪廻転生-人を殺す

 

人殺し

人殺しとは、無差別殺人や、恨みによる殺人、数えきれないほどの呼び名の、人殺しがありますが、罪の量刑の違いは、この世に存在する法律のもとだけです。

しかし、肉体=「悪の魂」を無くした後の、あの世という世界にいった、「善」だけの塊であるあなたが、自分自身に着せる罪の重さに量刑などなく、着せる苦しみは、如何なる殺しもまったく同じで、計り知れぬ苦しみです

ただ、特段人殺しだけが計り知れぬ苦しみというわけではありません。

一つの「嘘」「悲しませる」「傷つける」などと、一つの「殺し」には、その苦しみにおいて、あの世で、自分自身を、自分で裁くときの、苦しみにさほどの差は、ありません。

仮に、許すことができないほど憎い相手がいて、殺したとすれば、前世で相手が決めて来た結果なので、殺すも殺されるも双方が願ったことです。

人殺しについては

人殺しを勧めるわけではありませんが、殺された側は、輪廻転生、生まれ変わる前に自分で決めてきた、この世に終止符が打てることから「幸福」なので、特段、殺して悩む必要はありません。

それよりも、殺された人の周りの人は悲しみ苦しむことでしょう。それに対してこの世であなたは謝罪をし、謝罪の念を込めなければならず、その人たちの悲しみを一生背負って生きなければなりません。そうでなければあなたは許されません。

但し、殺した相手の事は考える必要などありません。

ここであなたが犯した「罪」は、人を殺したことではなく、その周りの人を「悲しませた」事になります。

最後に、ほんのわずかですが、人を殺すことに罪の意識はなく「快楽」で、殺す人もこの世にはいますが、それは見て学ぶための存在です。

二度と生まれ変わることがないために「償」を忘れないでください。

 

 

神の掟について

 

神の掟について

下記を相談フォームから頂きました。
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恩は感謝されること、他者から頂くこと
私は自分から仕事の手伝いをさせていただいています これは恩ですか?
奉仕 これはゴミ拾いや仕事の手伝いこれも入っていますか?
施しも手伝いや寄付 私の解釈は合ってますか? よろしくお願いします
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お手紙ありがとう。

神の七つの掟の中の、恩と施しですね。

恩とは、人から受ける行為です。
恩に報いるとは、受けた行為以上のことをしてお返しすることです。
奉仕とは、謹んで使えることです。

「私は自分から仕事の手伝いをさせていただいています これは恩ですか?」これは、内容にもよりますが、奉仕にあたります。但し、そこに何らかな報酬が発生していれば、奉仕にはなりません。

「奉仕 これはゴミ拾いや仕事の手伝いこれも入っていますか?」
何らかの報酬が発生していない限り、奉仕と言えます。

「施しも手伝いや寄付 私の解釈は合ってますか?」
手伝いが何を指されているかはわかりませんが、ご家族の御手伝いでは、施しになりませんが、他者への無償の手伝いであるなら、寄附も含めて、施しになります。但し、物事の大きさで奉仕と呼ぶこともあります。

ただ、これが奉仕で、これが施しで、と分けることなく、どちらかにはなっているだろうと思い行えばよいことであって、行為が大切なので、区分けに頭を使う事は良いことではありません。

 

科の教えと礼

あなたの行いに少しでも、「無理をしている」部分があれば良しとしなさい。これは、あなたがあなたの他者への行いより、肉体が疲れ切り今は斯うと思う時こそを、その道を本当に楽しめる瞬間であるという事です。

そのようなお気持ちになられる奉仕や施しはされているので、楽しんでみてください。必ず、行わさせて頂いたお相手に対して、あなたに感謝が溢れます。

尚、「無理をしている」という言葉は言い換えれば、形式上だけになってはいないだろうかという事です。形式上だけやっておけば、で、あっては何にもなりません。

奉仕や施しや恩を受ける者は、貧しくても諂うことなく、富ても驕ることなくと申します。あなたの行為に、お相手もきっと、この言葉に「感謝」と付けられていることでしょう。

人は、どちらの立場に立とうとも、道義を喜びとし、礼儀を切らずが必要です。あなたが、与える立場ならば、道義ともなり、与えられる立場ならば礼儀を切らずとならなければなりません。

あなたの行う、神の七つの掟は、時に俗世の人々から冷やかな目で見られたり、あなた自身が恥ずかしいと思う事もあるかもしれないが、神から見れば恥ずることは何もない。神は、いかなる結果であろうと、行為を見るたびに、目頭を熱くしている。

あなたの行いに、あなたが恥ずかしいと思った時、私はあなたに、道徳的行為において何の羞恥心を持つというのか。大木の神が呼んでいる、我が子よ。再度、恥をかき、笑顔を手に入れるまで、何度でも恥をかきなさい。私は、道理を歩く、あなたを恥ずかしいなどと一度も考えたことはない。

深厚があなたから出るとき、いつも誰かがあなたに救われることになり、あなたが、あなたである、吾のためになすべき時は、私は恥ずかしさを知る。

 

神の学問

神の七つの掟というものは、学んで思わざれば、学んで考えなければ、で止まってしまうのではなく、読んだら行為、考えないでも行為すればよいだけなので、学問を知らなくてもできることなのです。

私が、そしてあなたがあなたに、そんな難しいことを学ぶ時間を取らせると思いますか、大木の神は、学ばなくても、誰にでもが出来ることを、行いなさいと言っているのです。

ある意味において、大木の神は、神の化身である私に、託した者達に、学問を学ぶことの中には、害ある学問も沢山あるので、学問を学ぶときにはよく吟味して選考し学びなさいと言われています。

神の七つの掟は、見たらその場で、考えることも無く誰もが知ることが出来るが、他の学問には、知るをこれを知ると為しにつながるように、中途半端に知っているという学問は、知らないことと同じなので、その程度で学が終わりそうなのであれば、最初から学はやめておきなさいという事です。

掟を行うという行為には、つねに信義が重んじられていなければならない。相手のためになりたい、この相手のためになってこそ、我が輪廻転生の意味あり。これを忘れないで、あなたも、神の七つの掟を継続してみてください。

何か、悪いことがあったとしましょう。そうすると不要なものまで家に祀る者もいる、そのため故に、行わなければならないことを忘れて、念じに念じて跪き動きもしない。これは、心弱き者、俗世の者から見たら、これぞ誘いのチャンスと劣弱になったあなたを引き摺り込みに来ることになる。

神の七つの掟の中では、相手からの礼は無用であり、あなたから相手への仁こそが、全てであることを、すでに神の七つの掟を行って習慣化している者には、理解できていることでしょう。まだだという人は、困っている人を探して、今日も「何かお困りではありませんか」と声をかけることです。

 

天に罪

天に対して罪を犯すとは、どのようなものであるか、考えられたことはありますか。それは、あなたをあなた自身で悲しませることです。

天に対して罪を犯すとは、神の七つの掟を守らないことです。

このような言い方をすると私の嫌う脅かしのように聞こえますが、もう、ここまでで四百章以上を読んでいる方にとっては、万が一にも、神の化身が脅かしている、怖がらせて従わせようとしているなどとは思わないでしょうから、話しています。

当然のこと、私が脅かすことも無ければ、ましてやそれにより、従わせることなども全く無く、たとえ神の七つの掟を守らなくても、何の罰も与えることも無いことは、承知されているはずです。

あなたが、あなた自身を悲しませないように。

掟の行動に後悔が少なければ、禄(神の恵みによる幸運)は応じて得られるが、さらに掟の行動に後悔が少なければ、禄は、残すところ天国への階段を上ることのみとなることを伝えておきます。

早く天国へ来た方がよい。早く神になった方がよい。

 

輪廻転生-なぜ、この世で長く生きたい

 

長く生きたい

■ 長くこの世で生きなければならない理由はありません。

なぜ、長くこの世で生きなければならないのでしょう。

中には、長生きしたいと願う人もいます。

ここでいう長さは、人それぞれ決めてきた時間の事を言っています。

この世での長生きのために罪を犯すと、いうならば、何のために「輪廻転生」生まれ変わりをしてしまったのでしょう。

いつまで生きるかは、輪廻転生、生まれ変わる前に自分がこの世で罪の償いに必要な時間を決めた、その時間の長短のことです。

 

生きる

「あの世」に戻ると決めた期限は、人それぞれ違い、人によっては、二十歳であったり、七十歳であったり、百歳以上であったり、様々です。

でも、あの世で決めてきた時間が来れば、この世に残る意味のある人は一人もいません。

多くの人は「償い」が中途半端や、できないまま、死を迎えます。

中途半端や、できないまま死ぬと、地獄へ行き、地獄から出て、今度こそは「償い」を達成させようと決めて、輪廻転生を行います。そして生まれ変わります。

なぜ、人は必ず死ぬのか、それは、天国か地獄かを自分で選択しに行くためだからです。

生きる時間

あなたの決めた時間が来たら、どんなに長生きのための努力をしようとも、安心してください、決めてきた時間以上生きることはありません。必ず、自然死をします。

生まれ変わる日のことを今は思い出せないでしょう。

生まれかわるその日、あなたは必ず「木」の枝の上に座り、または、生い茂る植物の上に座り、あの世で決めてきた、これからあなたの母となる妊婦を見つめています。

このことからも、植物は、あの世とこの世を結ぶ三つのうちの一つであることを忘れないでください。

そして、決めてきた時間に自然死を迎えた時にも、あの世の門まで植物が道を作り案内してくれます。

長生きすることに時間を費やさないでください。その時間を罪の償いにあててください。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の言葉:これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身より

神より
「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

 

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