己を責める者:第六百六十一章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

己を責める者

 

己を責める者のイメージ画像

今回は下記のお手紙を相談フォームより頂きました。
———————–
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は今おこなっている善行だけでよいのでしょうか。ただ、善行もおこなうのですが、ついつい悪行といいましょうか、悪いとわかっていても、その方向に足が向いてしまうのです。どうすれば右の道だけを歩くことができるのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
———————–

お手紙ありがとう。

 

良い道に足を踏み入れるイメージ画像

己で、己を、責めることのない道を歩きなさい、己で、己を責める者は、大きな間違いをしているのではなく、佳境にいる今、右の道か、左の道か、踏み出す一歩を誤らず、右に踏み出した限り、今あるものだけで、足るを知り、己の中の己という神と分かち合い、己で己をハグして差し上げるのです。

あなた方の中には、足るを知る、これを要とできずに、己の愚かさを身に纏うだけで、己を責めては、甘い蜜に誘われ、一瞬の美味しさに負けてしまい、それでいながら、己の堕落に虞ては、汚れいく己の頬を己で殴ってみるようなことを繰り返す。

しかし、あなたが誰かと比べて蔑むことはない、誰とも己を比べてはならず、ましてや見下すようなことを思ってはならない。

ただ、このままでは右の道を歩き進むことは困難だなと、思う者が少なからずいて、私はあなたを見ていていつも思う。

今のままではなく、より望ましい良い道に足を踏み入れ、その道が右の道であることを味わい、そして享受する喜びを知るのです。

いつも言うが何も難しいことはない、神の七つの掟の中で出来ることを只管に行い、只管に行えば、必ず己にはできないと思っていた、神の七つの掟のすべてができている日が来るのです。

あなたが棺に入る日は、そう遠くはない、甘い蜜を舐めるよりも、また、神の七つの掟のすべてができないままに、棺に入ろうとも、右の道を歩き、そして歩き続けた己を褒めながら、天国の門へと進むことができれば、その結果が、あなたを右へと誘うのです。

 

リンゴ一つで得を一つ頂けるイメージ画像

今の己に悔いては遁走するような生き方をしてはならない、逃げることはいつでもあなたを覆いくるめようとするが、逃げてはならない。

逃げてしまう己を羞悪之心の如く、己の悪い道を恥じるが、他人の悪事も許せない、一瞬良い思いであるように見えるが、結局は己の甘い蜜をなめることから抜け出せずにいながら、他者の悪い道も許さないだけの、自己矛盾に陥っている。

決して、他者の悪い部分を責めてはならない、それは、己の愚かさの上に、さらに道理がわからぬ愚昧という救いようのない者となってしまうことになる。

己が右の道から外れるたびに、己よりも堕ちている者を責めては、己はまだましであると、己の胸の中の、己という神に言い訳をする日々から抜け出せずにいる。

仏教用語に脱聖化という言葉があるが、一言いうならば、善行や徳を積むことが、己の肉体がなくなった後に、どれだけ大切かをわかっていながらも、論理的に生きている日常の邪悪なものの刹那な時に身をゆだねては、瞬時に過ぎ去る左の道に足を踏み入れては、心が安寧であると纏ってしまい、甘い蜜をなめさせてくれる者たちについていく。

 

リンゴ一つで、出来ること

甘い蜜になびく者に言っておくが、美味しいリンゴは、長い年月をかけずとも、腐り食べることができなくなる。

甘い蜜になびく者よ、己の目の前にあるリンゴは、腐る前に、困窮者に捧げて、助けることが、今、あなたの目の前にあるリンゴ一つで、出来ることを忘れず、チャンスがあれば、掌に乗せたリンゴを分け与えるのです。すると、リンゴ一つで得を一つ頂けるのです。

ここに来ている者よ、あなたの目の前のリンゴ一つが手に入らないほど、あなたは嘆かわしい者なのだろうか。

あなたに降り注ぐ、あなたの前のリンゴを分け与えないのなら、あなたの振る舞いに涙するのは、あなた自身であることを、あなたは必ず失意のもとに、己の愚かさに慟哭という嗚咽では救えない者であることに絶望の淵を見ることになるだろう。

それでも目が覚めぬ者は、神への祭事を小さな部屋の中で号泣しながら行い、私の過ちをお許しくださいと願う、愚か者となる。

 

私から離れようとも、私を見捨てようとも、私はあなたのことを見守っていくのイメージ画像

神は、あなたの謝罪など求めてはおらず、謝罪をされても何も行うことができないでいて、あなたを見ては、あなたの胸の中の神が、やり直すチャンスを与える。

そのチャンスを、また、甘い蜜に溺れては、それを繰り返す。あなたの中にいる、あなたという神は、あなたを最後まで見捨てることはないが、あなたに話しかけて、左へと歩いて行っては駄目なことを何度も話すが、あなたは、その言葉をただの耳鳴りのように扱い、あまい蜜をまた舐めに行く。

それ故に、あなたの中にいるあなたという神も、あなたを助けることもができないことを、苦しんでいる、あなたは、一瞬だけ右へ行くと決めては、甘い蜜を口元に運ばれては、左の道へと進む。

然るに、あなたは右への道を行こうと、左へ行ってしまい誤ったことを、忘却の如く、甘い蜜の香りに忘れ去られてしまい、あなたは神の問いかける、さて一言、右の道へというが、それを左へ行ったからと言って、己が肉体を無くした後に、地獄を選ぶわけは絶対にありえないからと、己に己で己に言い聞かせる。

夢寐というが、眠っている間も、己が独り占めにしようとした甘いリンゴが腐ることをわかってはいても、困窮者に分け与えることをせず、首をひねっては、困窮者にリンゴを分け与えることは簡単だが、その伝がわからないと、探す努力、運ぶ努力、慈悲の心、それらを枕の陰に潜めるだけで、良い行為を行おうとしたと己を褒めている。

リンゴを分けるだけでいいのだと考えると、善行がいかに簡単で、簡単に徳が積めることは分かっているはずだろうが、探す努力、運ぶ努力、慈悲の心、これらを細大漏らさず行ったかどうかが大切なことなのです。

たとえリンゴを分け与えることができなくとも、渡そうということを、もう一度言うが、細大漏らさず、行ったかどうかが問題であり、たとえ渡すことができなくとも、その努力を最大限行えば、それは、徳を一つ積み、罪の償いを一つ行ったこととなるのです。

 

右へ右へと進む者のイメージ画像

あなた方もいつも耳にすることだろう、結果ではなく、それまでの過程が重要なことであるということ。

いかに、右へ右へと進む者であろうとも、救えない困窮者も出てくる、あなたがどれだけ驥足を展ばす優れた善行者であっても、それを悔いることがあってはならない。

何度も話してきたが、悔いる必要など全くなく、神が、ここに呼んだ者を見捨てることはない、見捨てるのはあなたであり、私はあなたに見捨てられても、あなたのことを天国へと導けるように見つめ続ける。

私から離れようとも、私を見捨てようとも、私はあなたのことを見守っていくことに変わりはなく、見捨てられたことに怒りなど持つこともない、だから、私がいなくても右の道を歩けるのならば、歩いてほしい、必ず、私がいなくても歩けるので、歩いてほしい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身