失う物はない:第六百二十九章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

失う物はない

 

失う物はない道

あなた方には、手放せない物や、手に入れたい物、という「物」が色々とある、それは、心、持ち物、友人、家族、その他、いろいろなものがあり、それは人それぞれで違いはあるが、それらをまとめて、物と呼び、それらは欲望や物欲という。

右に進めない者たちは、物、を失うことになるのではないかという恐怖から、前に進むことができないでいるが、進まなければ何も為すことはできないことを知らなければならず、進む以外に輪廻転生をしてきた目的を達成させることはできない。

惜敗する者となり、それは偏狭の如く己の狭い考えから些かな差によって、左と右に分かれていくこととなり、そのままで進むのならば、僅かな力で右へ行くのをためらい、左へと後悔の道を歩むこととなる。

右と左は、決して大きな力行は必要とせず、つつましやかにいればよく、決して精一杯の力など必要とはしていないのが、右の道であるというのに、物を失うのではないかと、気遣わしい思いに駆られては、右往左往している。

 

滑り台

グリッサンドでできた緩斜面を緩やかに滑り落ちる滑り台は、あなた方を気持ちよく俗世の陥穽という落とし穴に滑り込ませることから、誰もが何かを失うという恐怖も無く、微風に吹かれ、気持ちよく滑り進むことから、つい選びたくなる、それは努力を必要とせず、楽な坂道であり、それが左の道なのです。

しかし、一度滑り台で俗世の底まで堕ちたなら、滑るスロープを登ることはできないが故に、俗世にはまり己の時計の針が止まるまで、俗世の底にいる。

されど、右を目指して、困っている者を探しては、他者を助けることで、滑り台を登らずとも、上へ上へと進み、右の道に這い上がったならば、ゆっくりと右の道に吹く微風に身を任せながら、何かを失うことに恐怖を持つ愚者な思いを捨てて、決めて来た道を進む者となるのです。

一度や二度の過誤で諦めてはならない、誰もが蹉跌の如く失敗を犯すのであり、それで終わりだと思うことなく、右の道へ進めるチャンスは与えられているのである。

 

物を持ちたい道

今生にいて、沢山の物を持ちたいと思う気持ちは、誰にでも起こり得ることであり、その時に、どれだけの物を他者に分け与え、そして、分け与えるたびに、徳を背に抱えることができる喜びに浸れるのかが大切な決めて来た道なのです。

徳というものは、あなた方が今もっている、持ち過ぎている物のように、あなたが自由に動けないほどの重たさで、右へ進ませない荷物や欲望とは違い、徳は、どれだけ背に抱えようとも重たくはなく、あなた方の背を支え、ゆっくりと右へ右へと推し進めてくれるのです。

あなた方は、輪廻転生時には何も荷物など持っておらず、しかし、あなた方が輪廻転生時に、己に背負わせる善行のための、罪の償いのために飛び越えなければならないハードルを罪の数だけ並べる。

しかし、いくつかのハードルを飛び越すこともなく、横をすり抜けては益体もない物を持つことに喜びを覚え、私欲を蓄えることに陥って行く。

俗世でどれだけの物を手に入れようとも、俗世で手に入れた物は、必ず、いつか消え去るのであり、それでいて、欲望は心をすり減らす。

 

右の道を歩む

あなた方が決めてきた人生の物語は、左の道があるからこそ、あなた方が歩むと決めて来た、右の道があなた方の前にあるのです。

旭日昇天の如く、今日を弾みに勢いよく天国へ向かって、右の道を進み、今生にいながらにして、まるで神にでもなったかのように、己の欲望を捨てて、困っている者を助けて歩むのです。

右に進めば、それ則ち道理を知ることとなり、今までの己で己を振り返り見て思う汚名を雪ぐこととなるのだから、この時から右の道を進み、左に振り向かないのであれば、今日までの罪は全て償うことができる。

深潭なる善行の本質は、右の道にのみ現れては、あなたに困っている者を助けて歩くチャンスを与え、何故、輪廻転生をしてきたのか、何故、天国へ行くのか、何故、神となるのかを思い出させる。

儚い今生の時間だというのに、欲望を追い、物を手にしたがる者は、その終わりを知ることもなく、己で決めてきた時刻が来て、必ず、己から進んで地獄を選び、地獄へと入る。

右の道の軌道に乗れば、愁眉を開くように、物を失う心配事はすべてなくなり、自然と無欲となって歩むのだから、かがみこむ者、困っている者を助けては、「ありがとう」の感謝の言葉を頂いては、罪を一つ償い、徳を一つ背に乗せながら歩き進める。

然ればこそ、輪廻転生時に決めてきた通りの道へと修正をして、天国に向かい、神となるのです。

 

右の道を進む

右の道を進む限り、何も失うことは無い、失ってしまうのは、左の道へと進むからであり、それを忘れないで胸に畳んでおきなさい。

己を誰かと比べては、不運だと思う者よ、それは、己が決めてきたハードルであり、それを飛び越えなければならない。

そして、不平等だと思う者よ、誰もが罪の償いの為に、いくつものハードルを持ってきているのであり、今のあなたには見えないだけであり、幸福に見える者は、幸福以上の不幸のハードルをいくつも並べているのです。

一つの例えとして、貧乏と金持ちを見てみよう。貧乏な者は、貧乏を不幸と考えるが、貧乏とは慣れるものであり、不幸だと毎日悩むことは無いので、善行を行うチャンスを手にすることができる。

お金持ちは、お金はあっても、そのお金が奪われるかもしれないと、日々怯え、近づいて来る者たちについて、いつも疑いの目で見張っているため、善行を行うチャンスを逃している。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身