第二百五十四章:神のいたずら

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神のいたずら

 

神のお話しといたずら

天からの力で地を驚かし、地を動かすことは、驚地動天に近い言葉です。これは、大木の神だけにしかできないことです。

大木の神は、いつも人を試されている。地にあっても、右か左か上か下かと、どちらに、どれだけの努力をするのか、もし、良い方に向かえば、神はその者を試した甲斐があるので、どこかの神の化身にあずける。

では、試した甲斐のないものは、大木の神はやはり、どこかの神の化身にあずける。しかし、いずれにしても、神の化身にあずけるのだが、試して駄目なものは、天に上がるまでに、まずは、この世での苦しみを味わわせる。

貧しき者は、もっと貧しくさせ、体調がいいものはいたくて苦しい病に、暗闇で何者かに襲われる、体に自信のある者には、車などに惹かれて片足を無くさせる、等々。

この行為は、当たり前のことで、地獄から出て、地に降りるときに決めてきたことを一つも守らず、せっかく大木の神が、試すというチャンスをくれ、本当の自分が進むべき道に、修正させようとなさったのに、それも守らないチャンスを逃す者は、今生では必ず天国へはいけないのだから、このようなことが起きて当然なのです。

大木の神のことを、酷い、惨い、という前に、神の七つの掟を守ったのか。守りもせずに、何を言っているのだろう。

神は、神の七つの掟の五つ以上守っている者には、少しは手加減をする。但し、五つではなく、七つ守らない限り、必ずあなたがあなた自身で左の道を行く、これは、あなたから大木の神に「今から地に降ります。そして、神の七つの掟を必ず守って戻ります」と、あなたが言ったのだから、それを、風俗俗世に流され、神を騙して生きたのだから。

そして、何よりも大木の神に、大木の神が命じたりなどしていないのに、あなたは七つをみずから、守って戻ってきますと言い、大木の神を騙したのだから、あなたに何か言う言葉は無いでしょう。

神を騙す者に、天国などあるはずはありません。但し、気が付き、神の七つの掟を守り継続するものは、天国への右側の道が待っています。

 

 

神は常に許す

私が神の化身として現れ、託された人のみがここにやってくる。そして、私は間違った道を歩む者を、軌道修正できるように、話しかけている。

これは、私があなた方を選んだのではなく、神が選んだのだから、この中にも神を今も騙す者がいます。しかし、神の七つの掟を守り、継続すれば、騙された神も、その者たちを許し、天国でにこやかに迎えるのです。

私の役目は、法螺を吹きあなた方を脅かして、道をを歩かせているわけではありません。私に、花多ければ実少なし、というではないですか、要するに、私に言葉巧みに近づき、こびへつらったとしても、そのような薄っぺらい嘘で私を騙す事などできない、そのような者の話を聞くたびに、かわいそうに次も左の地獄に行くのか、と思い残念でなりません。

大木の神は、以前にも話したように、いたずらが好きです。その為に、人間の振りをして、この世によく降りて来る。あなた方には、不思議だと思うでしょうが、その時にも大木の神は天国にいる。

大木の神は、先日降りたのが、大学の優れた論文を書いた者だけが、発表するという面白い大学だった。

そこで、選ばれた者の一人が、神についてという話であった。その者の話は、神はいるとも、いないとも、言わず、神を非難し続ける内容であった。

それを聞いていた、大木の神は、大笑いしたそうで、私のことを私の目の前で非難していると思ったらおかしくて仕方がなく、口に手を当てて聞いたそうです。

そのような考えを持つ者もいるのだ、でもよい話が聞けて良かったと思われたそうです。しかし、あの者の話は面白いのだが、蜀犬日に吠ゆというように、彼は何もわかってもいないのに、そして、私というものを理解していないのに非難だけをするところは良くない。

私を非難することがよくないのではない、それは皆の自由なことであり、私には何も感じることはない、私は全ての者が何よりも大好きだ。

 

人を非難し神を非難する

私が言いたいのは、これからのあの者が、人を常に非難することを考え、己の知りゆる知識をもって、相手を、論破すようになることを、今から、軌道修正を行わなければ、ならないと私は、助けてあげられる人を近くに呼び寄せた。

これで、私は天に戻ったが、数か月後に見たところ、ある宗教にいたので、良かったと思った。

私は、大木の神の話の中で「助けられるものを近くに呼び寄せた」実際に神が呼んだのではなく、なんらかの形で知り合えるようにしたということなので、わたしに託された者の中でも、どうしようもない愚か者がいる、今も悪いことばかりしている、その者の近くに、優れた者がいたので、二人が出会うようにしてみた。

その結果は、優れたものが、愚か者の遊びにつられ、愚か者となってしまった。

良いものと悪いものが同じ力でいれば、必ず、悪い者が勝ち、良いものが悪いものになる。これに似たことは以前にも話したが、常に、悪いことは楽しいものなのです。

 

ギャンブルに溺れる愚か許のとお芋の

愚か者が、良いものを連れて競馬場へ行った。良いものは最初は、この様なギャンブルをやっているから、友人から金を借りては、返せなくて、友人が去っていくのです。そうでしょ、だから知り合ったばかりの私を競馬場へ連れてきたのでしょ。

愚か者は、悪かったといい、でも、せっかく来たのだから、今日を最後に遊んで行こうよ。といって、良いものにも馬券を買わせた。

これが、ビギナーズ-ラックで当たった、それも高額であった。良いものは、次のレースにも、当たったお金の一部をかけてみた。外れた、これでよかった。

しかし、次のレースには、最初に買ったお金の全部を大穴にかけて、これなら外れて、愚か者を、所詮このような者は、これが当たり前で、もう続けてはいけないということを考えて、レースを見ていた。

これは見事に、はずれた。

さて、良いものは、先ほどの話をして、帰ろうと言ったが、次のレースが最終レースなので、これだけやろうよ。その代り、勝っても負けても、これでギャンブルはやらないから。絶対に誓う。

そして良いものも、仕方がないので、馬券を購入した。結果は周りの人たちも、みんなが驚くような配当金を手にして、良いものも驚いた。

 

ギャンブル

それから、良いものは悪いものと競馬場や、その他のギャンブルにのめりこみ、愚か者となった

この良いものは、まだまだ修行が足りなかったことは事実であるが、世というものは、人というものは、とかく悪いものの楽しさに勝つことができないで、悪い方へと向かうのです。

今回は、ギャンブルの話をしましたが、ギャンブル=悪いと言っているのではありません。お小遣いで遊ぶ程度、全くのめり込まないのは良いが、のめり込むのは。神の七つの掟です。

最後にこの言葉を、あなた方に伝えましょう。

凌雲の志 これは俗世を超越し高い志を持つことです。これさえあれば、いかなる愚か者にも、心奪わることもなく、楽しい俗世の愚かな世界に負けてはならないということです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身より

神より
「我が子よ、最新の数百章のページ程度の新しい章から読めば、最初のページから三ページ以上づつ読みなさい。そうするといつか近づく日が来る。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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