言い訳:第六百十八章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

言い訳

 

言い訳と夕暮れと鳥

この世には、言い訳ばかりを探してきては、それを唱え、己の行いに許しを乞おうとばかりしていて、真理の道を進むこともなく、また、今日という日も、何故、善行を行わないのかについて、言い訳を必死に勉強し、己に言い訳を言い聞かせては、心ゆるび安堵する者がいる。

あなた方は、いかなる時もなにがしかの不安を感じているが、今まだ起きてもいない不安など、気に留めることもなく、それよりも、不安が去った後の喜びを想像してみることです。

あなた方にとって、出先で出くわした、人には言えない喜びに包まれたとき、帰り道では、顔がほくそ笑んでいていることを周りは見もしないのだから、笑顔で歩きなさい。

あなた方は、人生で一番良い時を、あなた方はまだ味わってはいない、ただ、今はまだだが、必ず、極極の一番良い時があなたを包む日が来る。

忘れてはならない、この世に来たということは、神になるためであることを、忘れてはならない。

今の辛さは、幸せの種の中にあるからであり、種が破け発芽すれば、あなたは神となり、未来永劫の幸福を得るのだということを。

今迄の行いについて、忘れてはならないことがあり、それは、どうやって善行を行ったかではなく、どれだけの善行を行ったかであり、それ以上もそれ以下も無い。

そして、最後には、善行を行ったのではなく、行わせて頂いたのかがあらわれ、あなたは行ってきた善行の多くを忘れてしまっていることになり、そこに誠の徳が集まり、あなたを包み込み、天国の門の前に立たせる。

 

魚網鴻離の如くと夕暮れ

魚網鴻離の如く、この世では、あなたが求めていたものと違うものがあなたの掌の上に落ちてくることがあるが、それを大切にすることで、いつの日か、本当に求めていたものは、そのものであったことを知る日がくるのであり、決して、無碍に扱ってはならない。

あなた方が幼いころに考えた、いくつかの己の人生の中で、必ず、一つには触れられるが、幼さゆえに、そこから先を考えていなかったことから、夢が叶わなかったかのように思っている。

考えていなかったというのに通づるのは、叶った後で、叶ったことに満足をして、本当に継続的に達成したかったことに対して、努力が足らなかったからといえる。

使っている鍬は光るという通りであり、常に努力する者、善行の道を歩く者は、神の目からは光って見えるので、あなたの旨の中の神も喜び、それが、あなたを前へ前へと進めてくれるのです。

使わずに壁の肥やしとなっている鍬は、錆びて使い物とはならず、あなたが、ある日、ようやく気が付いて、鍬を手に取り、はっしと打ち下ろしたならば、錆びた鍬は、土に敗れて粉々になってしまうのです。

しかし、今ならば、今日からならば、鍬は光り輝き、昨日までのあなたの行いを赦すこと、償うことができるのであり、鍬を使わなかった者達全員が、鍬を使っている者達の背中を追いかけて行けるよう、神への右の道を歩けるようにしよう。

 

手を貸すことはできない夕暮れ

私は、あなたが決めてきた人生に、手を貸すことはできないが、あなたが、昨日までの罪の償いを、今から行いたいと願い、行為に移すのならば、三度を超える過ちが、例えあなたにあったとしても、それが赦されるようにすることはできる。

自らの価値を失うような者となってはならず、常に思うことは、不安が去った後の喜びをもって、他者へも喜びを分け与えるために、他者の為に歩くのです。

あなたに訪れる、至極の喜びの時が、あなたが来るのを待っているのであり、それを、あなたは得る権利を持っていて、何が起ころうとも必ず、その喜びの時はやってくる。

これは、あなたが善行を行わず、悪行を行っていたとしても、あなたの前に現れ、あなたを喜びの中に包み込むのです。

但し、善行を行っている者にやってくる喜びは、あなたを覆いながら道は続くが、悪行を行っている者にやってくる喜びは、あなたを覆うことはできず、訪れるのは同じでも、儚く曖昧模糊と終わり、消えて行く。

いずれにしろ、至極の喜びの日はやってくるが、さて、善行で迎え入れるか、悪行で迎え入れるか、それは己の模範次第であり、己で決めればよいことである。

 

恐悦至極を頂く朝焼け

あなたが、左の道の先にある、恐悦至極を頂くというのならば、時計の針が止まった後の世界を、畏れないということなのだから行けばよい。

道徳に反し、己の過去の罪も償わず、賢しらな智慧を働かせては、己の悪欲への、己の中にいる、あなたという神の戒告にも耳目を閉じるのであれば、あなたの人生で一番良いことに出会い、曖曖と失うがよいでしょう。

悪行の中で俗世に溺れていく者は、自己顕示には長けており、一人でも多くの者に、それを伝えようとする。

善行の中で、真理にかなった善い行いを行う者は、たとえいかなる善行を行ったとしても、それを誇示することはない。

人は、誰もが、前者か後者かを見抜くことができるように、常に、どちらが何を失い、何を手に入れたのかがわかり、どちらが、己の求める道なのかも知っているが、言い訳ばかりで、言い逃れては、前に飛び越えるべきハードルがあるにもかかわらず、飛び越えることなく、横をすり抜けては、弱い自分を嘆く。

弱い己を嘆いている時だけは、己が善行を行う者となった気になるが、なにもせずに、反省の言葉を並べては、許しを乞う。

さて、誰に許しを乞うのだろう、天国にいる神様にか、己の中にいる、あなたという神にか、それとも、今日助けなかった道で倒れていた者になのか、いずれにしろ、言葉だけで何を言おうとも、慙愧を知ることとなるだけであり、前に進むことはない。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

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