勇気が過去にあれば:第四百六十六章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

勇気が過去にあれば

 

勇気が過去にあれば

いつも年をとれば、若いころを思い出し、あの時、あのことを勇気をもってできなかったのだろうかと、苦い思い出が頭の中を駆け巡り、その反面では良かった時のことを思い出すと、それを続けるための我慢が出来なかったのだろうかと嘆く。

もう少しだけ、勇気を出して進んだなら、今は違う世界で、苦い思い出も無く、こんなに悔しく思うことも無かっただろうにと思う。

追従のような恥をさらけ出すこともなく、勇気をもって立ち向かったならば、そこで何かに負けようとも、己が惰弱だったことに、苦しむことも咎めることも嘆くことも無かったのにと、そこで、慨嘆に足を止める。

何故、過去を振り返るのか、それは、もう通り過ぎたことであり、そして、その記憶が、これからの善行への力となることを知ることです。

これからの道は、過去の悲哀を知ってはいても、悲哀に負けることも勝つことも無く、ただ、前を向いて善行の旅を続けるだけで、今までの苦い思い出は、消えていく。

消えるのは、善行を一つ行い、悲哀が一つなくなる、これを繰り返し、前世までの、嘆く事柄も、一つずつ無くなっていく。

 

善行

ある男が、一日に八つの善行のチャンスと出会うことが出来た。まず、一つ目が、電車のドアのすぐそばにいて、ドアが閉まりかけているのに、乗ろうとして走ってきた者がいたが、ドアは無情にも閉められ、乗ることが出来なかった。

その時に、男は、閉まるドアに腕を投げ入れていれば、ドアは再度自動的に開いて、乗ろうとした者のために、良い行いが出来たのにと嘆いた。

次に男は、満員電車で目的の駅に着いたが、開いたドアの後方にいたために、プラットホームに降りることがなかなかできなかった。

そんな中、男は前の失敗を思い出し、このチャンスをいかそうと、自分よりも先に降りられない者たちに、手で先に降りることを促した。

しかし、あと一人の所で、ドアが閉まるアナウンスに、あと一人の者には促すことなく、己が先に降りた。男は、先に降りたことを嘆いた。

男は、再び電車に乗り、電車が進んで行く中で、一人の老人なのか、まだ、その手前なのか、わからずにいたが、その男は優先席の中央部分で、苦しそうな顔をして立っていた。

優先席には、六人が座っていたが、明らかに五人は若い、男は、苦しそうに立っている者に、声をかけて、席を譲って頂きましょう。と言おうかどうか、ずっと悩み続けて、自分の降りる駅につき、何も言うことができず、降りることとなった。

このようにして、一日が通り過ぎていき、男は己の勇気の無さを嘆くしかなかった。しかし、嘆いても過ぎたものを取り戻すことは出来ないことは知っていた。

次回のチャンでは、それらの行いをいかして、頭を使わずに、体がとっさに動くように、阿呆になって歩くことを、この男は、ベッドに横たわり天井を見つめて誓った。

そして、男は数日後にチャンスに出くわして、何も考えることなく、行動に移して、心が欣快になることを得た。

 

過去を振り返る

善行を行わない者は、道義を捨てて俗世に陥る者達であり、木鐸と言うあなたの為に、あなたの道筋を教える者から、逃げ出して、堕ちていく一瞬の享楽に溺れることとなる。

私の話す仁とは、思いやりと慈しみ、万人への愛である。仁が乱れることがあれば、当然、そこには不仁が生まれる。

不仁が蔓延すれば、世の中に道徳が無くなり、僅かな正義を持つ者を捉えては、俗世で口を開けさせて、甘い蜜を流し込み、不仁とさせようとする。

仁に生きてこそ、右への道を進むことが出来るので、如何なるときにも、頭で考える智慧や謀を行うことなく、阿呆は自然に肉体を動かすことから始めている。そのような者となりなさい。

阿呆であれば、尊貴を求める欲望すらないが、求めずして尊貴となり、皆から敬われるものとなる。

 

勇気と阿呆

過去の弱い自分を振り返ることは、もう一度あの時に戻って、やり直すことが出来ればと嘆いている者である。

過ぎた時は戻すことが出来ないというのに、それを欲しているのは、智慧者の証に過ぎず、阿呆とはなれていない証を、背中に書いて歩いているようなものである。

目端が聞く者は考える者であり、チャンスをいかすことは出来ない。目端はチャンスを見つけるためだけでよく、チャンスを見つけたならば、飛び込んでいくことこそが、チャンスを得て、徳を一つ積み、償いを一つ終わらせたことになる。

悪衣悪食を嫌うのであれば、悪衣悪食があなたを追いかけ捕まえて、その世界に堕としこむ。

しかし、過去を今の善行の肥やしとして歩く者は、悪衣悪食から逃げることも無いが故に、悪衣悪食がやってくることも無い。

物事の本質は、追いかければ逃げ、逃げれば追いかけてくる。だから、中有でいれば、逃げることも、追いかけることも無い為、何かに縛られることも無く、神への道を歩ける。

真の勇気とは、阿呆でいられるかどうかである。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身