勇気とは小さな犠牲:第六百六十章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

勇気とは小さな犠牲

 

勇気とは小さな犠牲のイメージ画像

今回は下記のお手紙を相談フォームより頂きました。
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神様、私には勇気がありません。
根性がない怖がりと言えばよいのでしょうか。

中学時代には一学年下の生徒から脅かされて土下座をする羽目になりました。
大人になり仕事では営業職に就いていたころ、成績が良く主任になりましたが、部下から脅かされて怖くて頭を下げました。

自分で会社を設立したときには、雇用した社員の一人から脅かされて弁護士を立てて示談にしましたが、これも怖かったからです。

今も怖がりなのは変わっていませんが、勤め先でも人と関わらないようにしているので少しだけ安心はしています。

どうすればこのような性格が治るのでしょうか。学年や部下など自分の下にいる人に脅かされて頭を下げた記憶が消えません。恥ずかしくて情けないです。

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お手紙ありがとう。

 

勇気のイメージ画像

あなたは端から勇気がないわけではない、かるが故に、何も不安に思うこともなく、それよりも、頭を下げた行為こそが、勇気があった証なのです。

怒りをぶつけてくる者に、遜ることなく向かっていけば、ただの愚者であり、そこには何の学びもなければ、価値もない。

相手からの行為に対する、元の原因はあなたが作ったのであり、過ちを正すためには、あなたが頭を下げる方法しか存在しないのです。

それ故、あなたは勇気をもって頭を下げたのであり、それにより、あなたを神が称賛しているのだから、善い行いをしたのだと心の中で己を褒めることです。

あなたは、己が情けないと不安を拭い去ることができないでいるが、それは、自利だからであり、この場合の自利とは、己の幸福、己の勝利、己の利益、それらを欲しているからなのです。

利他については何度も話してきているので、あなたにとって、自利から切り替えることは何も難しい事ではないでしょう。

あらゆる手を尽くし、思わぬ災いを避けて通るのは、右の道に叶わぬ者の生き方であり、自利から利他になる道を歩くことが、あなたが不安の中で生きているところから、あなた自身であなたを救うことができるのです。

 

神に祈る必要のイメージ画像

窮鼠嚙猫という言葉がある、あなたに例えるならば、怖がりなあなたも、誠に追い詰められたならば、強い相手に勝つという意味です。しかし、勝ってはならない、それは愚か者の証となるのであり、頭を下げて、相手に勝利を与える者が、本当の強者なのです。

あなたは勇気をくださいと神に祈るが、神に祈る必要もなく、ここに来て、己が真の勇気ある者であることがわかっただろう。

勇気とは小さな犠牲であり、犠牲とは勇気である、犠牲を払いなさい、小さな犠牲を払いなさい、あなたにとっての小さな犠牲を一つ上げるならば、電車やバスで席を必要とする者に、声をかけることも、あなたにとっては勇気が必要であり、勇気とは小さな犠牲であることを忘れてはならない。

あなたに起きた過去の痛みは、小さな犠牲を払った勇気であると、一途をたどらなければ、せっかく近くに来ている喜びをも打ち消すことになることを忘れてはならない。

 

勇気とは小さな犠牲であることのイメージ画像。

あなたに対して痛罵と言って、口汚く罵り、あなたを非難した者を赦し、小さな犠牲を払う勇気をいただいたのであるから、相手に深謝するのです。

加うるに、相手に完全に非があり、あなたには瑕瑾無冠と一切の非がない場合であっても、あなたに対して怒りをぶつける者から、立ち去ることなく、その場をじっと動くことなく、相手が怒ることに疲れて立ち去るまで待つのです。

あなたは、何もせず、相手の好きなようにさせて差し上げることができたのだから、ここで、あなたは徳を一つ得ることになるのです。

然れども、相手に対して言い返すようなことを行えば、あなたは犠牲を払わない愚者となり、左の道へ踏み出すことになる。

 

犠牲を払い、徳を積むイメージ画像

今回の相談者のように、己には勇気がないと嘆く者は、小さな犠牲を払いなさい、常に慈悲と慈しみをもって、困っている者に手を差し出しなさい、席を必要とする者に席を差し出しなさい。

どれだけ慈しみをもって歩こうとも、己に愛と慈しみを乞うてはならない、慈悲を求めないから価値ある者であり、価値があるから慈悲を与えるのであり、慈悲を求める者に慈悲は与えない。

あなたが勇気をもって徳を積むというのなら、そこに作為があってはならない、巧言をもって飾り立てた言葉で犠牲を払わずにいるのなら、あなたの要である右の道を歩くことはできない。

犠牲を払い、徳を積む、これがあなたにはできていることなのだから、勇気をもってやりおおせないことはない。

惜しむらくは、小さな犠牲を払うときに、作為をもって行うことであり、無為になり、困っている者を見つけたならば、考えることなく近くにより「私に何かお手伝いさせていただけないでしょうか」と声をかけることを忘れないことです。

大木の神は、そのような善行を行う者を、微笑みながら見ているのです。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身