行為と読み直し:第四百二十五章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

行為と読み直し

 

行為と読み直す

人は時に、己の思い通りにならないことから、自棄になり、己の身を粗末に扱う。また、苦しみに耐え忍ぶことが出来ず自暴自棄と為す。

その時、その者の内面は堕落する。ここに陥れば、ようやくのこと苦しみに耐える術を知ることとなり、耐えて己の弱さに戦いを望む。

戦いの結果は、勝利を治めなければならず、努力を怠ることなかれと、成就させることとなる。

ここで、あなたがたによく伝えておくべきことは、努力できる時間は実に短い、長いと思っているのは、あなた方の大きな勘違いであり、それがどこからきているのかというと、欲望である。

享楽を楽しみたい欲望を抑えきり、また捨てきらない限りには、時という、瞬間でなくなってしまうものを、長く感じる。

欲望を捨てるには、何も考えないで神の七つの掟を行い続けることが、一番の良い方法である。

 

読む者

さて、今日も読む努力家がいる。

この努力家を見ていると、周りの者からの声価も高く、雅量にも優れている。私が近くでじっと見ていても、気持ちが伝わってくる。

でも、この努力家が読み直しを行うのは、これで七度目になる。このままだとまだ数回は必ず読み直す。

読み直すこと、それを身に着けることは、非常に大切なことであり、学ぶことに渇することは、良いことです。

しかし、学とは読むことだけでは何の役にも立たない。今のページで学んだことは、そのまま、一つの行為に移し、行動することで学は完成され、学んだことは成就する。

この努力家は、このままでは暗記するだけの竜頭蛇尾所謂頭でっかちとなるだけで、大切な行為には、いつ向かうのか自分でもわからなくなる。要は理論家になるだけという事です。

学は、頭に入れる、または、心に入れる部分と、行為の重なりにより学びの廉潔となるのです。

それ故に、行為というものは、斟酌のように控えめにすることはなく、他者を助ける行為は大胆に行う事です。

学において何事も、忌避してはならない。全てを学びと思い、行為に移して初めて喜びがいつも以上にあなたに降り注ぐのです。

今日、昨日の章を読み、学ぶ者が読み直しをしている、そう、あなただ。読み直すことが、先の者とは違い、あなたには必用だった。だから、読み直しを強く強調した。

どうだろう、正解だったでしょう。今も読んでいるあなたを、あなたの隣で私は見ている。正座する必要はない。

私に手を貸して御覧なさい。あなたの指さきにふれて、私が見ていることを教えてあげよう。そんなこと、と今思っているのなら、さぁ早く、私がしっかりと柔らかく感じさせてあげるから。

 

読み直すこと

読み直しを第一章から行っているあなたは、必ず、その行いを行為と変え、他者のため困窮する者のために、仕えることです。その行いを私も大木の神も、絶対に一部も見逃すことはありません。

そんな中に、これだけ頑張っているのに、神の化身や大木の神が自分を見ていないから、物事が上手くいかないんだ。と思っている者もいる。

こんな時には、大きな声で叱ってあげようかと、笑う事もある。見ていないなら、あなたはここに来ない人だし、私もあなたに向けて何も書く必要もない。

私は見ている、大木の神も、同じように神の七つの掟を行う時のあなたを見ている、その時の当然ながら、あなたの心の囁きも見ている。何が得で、何が損か。など考えていないね。

志操という言葉が描き出しているものは、これ守るべき天への道という意味に繋がるものあり、己の信念を固く守り世俗にも流されることなく、変化することも無いことを意味している。

今、読みな直している者だけは、変化することのない勁節を持っていることになるのだから、やはり読み直しは礎のようなものであり、そこに必ず行為を行わなければならない。

 

天国に全てある

読み直すことが面倒だと思う者は、神の七つの掟を読み、メモ帳に書きとめて、神の七つの掟の行為を行うだけでも良い。今すぐに他者のために行動しなさい。

あなたの人生の時間が無い限り、やるべきことは他者への奉仕以外には無い。しかし、行為を行いながら、理解もしたいと思って当然のこと、だから読み直しを第一章からしているのです。

勿論、既にヴィーガンである者は、動画を飛ばしてもかまわない。そうでない者は、動画もしっかりと見て、第一章から、ここまでを読みなさい。

忸怩という言葉は、あなた方も使うかもしれないし、耳にもするでしょう。意味としては、己の行いを心の中で恥ずかしく思うという事です。

私の前に来て、今ここで読んでいる者に、そのような者がいない時を一日も早く互いに築き上げなければなりません。

だから、私はいつも話す。時に下らぬとあなたが思う事も、あなたのために話している。

私の思いは、あなたは神になるために、今生に降りてこられた。その手助けをするために、大木の神が、あなたに私をつかわせた。

あなたが、天国に来ない人であれば、ここのページを知ることは、あなたにはなかった。ここのページに来るために、そこで我に返るために、あなたも願っていた。

さて、読み直しが終われば、次は、それを暗記して、すぐに行動に移す時です。行動とは、神の七つの掟を、行為として、他者の助けになることだけ、それ以外の私利私欲を捨て、行為をするのです。他者を助けるのです。

時間など短くて、短くて、あなたの行為に、努力などの言葉を挟むことも無い、短さなのです。

行ないなさい。すべての力を振り絞って、全てを他者のために捧げなさい。

あなたの欲しいものすべては、あなたのこの世での行為により、天国に全て用意されているのだから。愛するものも、欲しいものも、全て天国では永遠にあなたの望むがまま、あなたの今生での行為により、与えたくて待っているのです。

そして、あなたの嫌いな人間関係というものも、天国にはなく、新人の神のあなたも、古くからいる神の私にも、上下関係なども全くなく、凄く仲の良い友人であることがわかります。

そうだ、そんなに長く読んでいる、あなたを見たのは初めてかもしれないね。

 

それと、代筆者さんを助けてやって欲しい。私がお願するのは初めてだが、本当に、この代筆者さんがいなくなるのは、困ることからも、広島という者は、もう助ける必要はない、十分すぎるくらい努力した。だから、それに代筆者さんも報おうとしている。だから、広島という者以外、で、助ける者がいることを願う。

但し、その行為により、私が何か徳などを授けると思っているのであれば、不用なので止めておきなさい。代筆者さんもあなた方と同じなので、特に、代筆者を助けたからと言って、特別に見たり、何かお与えることもありません。

あなたが、代筆者を助けようと、助けまいと、神の七つの掟を行うあなたに何も変わることはない。だから、あえて代筆者を助けるなどという事にこだわることは全くない。だから、助けても結果は何も変わらないので、それよりも他者を助ける行為を行うべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

 

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