神の掟について:第四百四十章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

神の掟について

 

神の掟について

下記を相談フォームから頂きました。
—————
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
恩は感謝されること、他者から頂くこと
私は自分から仕事の手伝いをさせていただいています これは恩ですか?
奉仕 これはゴミ拾いや仕事の手伝いこれも入っていますか?
施しも手伝いや寄付 私の解釈は合ってますか? よろしくお願いします
・・・・・・・・・・・
——————–

お手紙ありがとうございます。

神の七つの掟の中の、恩と施しですね。

恩とは、人から受ける行為です。
恩に報いるとは、受けた行為以上のことをしてお返しすることです。
奉仕とは、謹んで使えることです。

「私は自分から仕事の手伝いをさせていただいています これは恩ですか?」これは、内容にもよりますが、奉仕にあたります。但し、そこに何らかな報酬が発生していれば、奉仕にはなりません。

「奉仕 これはゴミ拾いや仕事の手伝いこれも入っていますか?」
何らかの報酬が発生していない限り、奉仕と言えます。

「施しも手伝いや寄付 私の解釈は合ってますか?」
手伝いが何を指されているかはわかりませんが、ご家族の御手伝いでは、施しになりませんが、他者への無償の手伝いであるなら、寄附も含めて、施しになります。但し、物事の大きさで奉仕と呼ぶこともあります。

ただ、これが奉仕で、これが施しで、と分けることなく、どちらかにはなっているだろうと思い行えばよいことであって、行為が大切なので、区分けに頭を使う事は良いことではありません。

 

科の教えと礼

あなたの行いに少しでも、「無理をしている」部分があれば良しとしなさい。これは、あなたがあなたの他者への行いより、肉体が疲れ切り今は斯うと思う時こそを、その道を本当に楽しめる瞬間であるという事です。

そのようなお気持ちになられる奉仕や施しはされているので、楽しんでみてください。必ず、行わさせて頂いたお相手に対して、あなたに感謝が溢れます。

尚、「無理をしている」という言葉は言い換えれば、形式上だけになってはいないだろうかという事です。形式上だけやっておけば、で、あっては何にもなりません。

奉仕や施しや恩を受ける者は、貧しくても諂うことなく、富ても驕ることなくと申します。あなたの行為に、お相手もきっと、この言葉に「感謝」と付けられていることでしょう。

人は、どちらの立場に立とうとも、道義を喜びとし、礼儀を切らずが必要です。あなたが、与える立場ならば、道義ともなり、与えられる立場ならば礼儀を切らずとならなければなりません。

あなたの行う、神の七つの掟は、時に俗世の人々から冷やかな目で見られたり、あなた自身が恥ずかしいと思う事もあるかもしれないが、神から見れば恥ずることは何もない。神は、いかなる結果であろうと、行為を見るたびに、目頭を熱くしている。

あなたの行いに、あなたが恥ずかしいと思った時、私はあなたに、道徳的行為において何の羞恥心を持つというのか。大木の神が呼んでいる、我が子よ。再度、恥をかき、笑顔を手に入れるまで、何度でも恥をかきなさい。私は、道理を歩く、あなたを恥ずかしいなどと一度も考えたことはない。

深厚があなたから出るとき、いつも誰かがあなたに救われることになり、あなたが、あなたである、吾のためになすべき時は、私は恥ずかしさを知る。

 

神の学問

神の七つの掟というものは、学んで思わざれば、学んで考えなければ、で止まってしまうのではなく、読んだら行為、考えないでも行為すればよいだけなので、学問を知らなくてもできることなのです。

私が、そしてあなたがあなたに、そんな難しいことを学ぶ時間を取らせると思いますか、大木の神は、学ばなくても、誰にでもが出来ることを、行いなさいと言っているのです。

ある意味において、大木の神は、神の化身である私に、託した者達に、学問を学ぶことの中には、害ある学問も沢山あるので、学問を学ぶときにはよく吟味して選考し学びなさいと言われています。

神の七つの掟は、見たらその場で、考えることも無く誰もが知ることが出来るが、他の学問には、知るをこれを知ると為しにつながるように、中途半端に知っているという学問は、知らないことと同じなので、その程度で学が終わりそうなのであれば、最初から学はやめておきなさいという事です。

掟を行うという行為には、つねに信義が重んじられていなければならない。相手のためになりたい、この相手のためになってこそ、我が輪廻転生の意味あり。これを忘れないで、あなたも、神の七つの掟を継続してみてください。

何か、悪いことがあったとしましょう。そうすると不要なものまで家に祀る者もいる、そのため故に、行わなければならないことを忘れて、念じに念じて跪き動きもしない。これは、心弱き者、俗世の者から見たら、これぞ誘いのチャンスと劣弱になったあなたを引き摺り込みに来ることになる。

神の七つの掟の中では、相手からの礼は無用であり、あなたから相手への仁こそが、全てであることを、すでに神の七つの掟を行って習慣化している者には、理解できていることでしょう。まだだという人は、困っている人を探して、今日も「何かお困りではありませんか」と声をかけることです。

 

天に罪

天に対して罪を犯すとは、どのようなものであるか、考えられたことはありますか。それは、あなたをあなた自身で悲しませることです。

天に対して罪を犯すとは、神の七つの掟を守らないことです。

このような言い方をすると私の嫌う脅かしのように聞こえますが、もう、ここまでで四百章以上を読んでいる方にとっては、万が一にも、神の化身が脅かしている、怖がらせて従わせようとしているなどとは思わないでしょうから、話しています。

当然のこと、私が脅かすことも無ければ、ましてやそれにより、従わせることなども全く無く、たとえ神の七つの掟を守らなくても、何の罰も与えることも無いことは、承知されているはずです。

あなたが、あなた自身を悲しませないように。

掟の行動に後悔が少なければ、禄(神の恵みによる幸運)は応じて得られるが、さらに掟の行動に後悔が少なければ、禄は、残すところ天国への階段を上ることのみとなることを伝えておきます。

早く天国へ来た方がよい。早く神になった方がよい。

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の言葉:これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)