輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
己の得に傾く天秤
あなた方は、それぞれが、いろいろな最期の方法を決めてきているが、今はそれを思い出す必要も無ければ、ましてや恐怖などを考える必要もなく、あなたが決めてきた方法で時計の針を止めるのであり、その時は一人であると決めてきている者や、誰かに看取られることを決めてきた者もいる。
だから、残された者達は、亡くなった者の思い通りの方法で時計の針を止めたのだから、なにも悲しむこともなければ、もう少し生きていて欲しかったなどと思っても、本人の決めたことなのだから、どうしようもないことだと知り見送るのです。
時計の針を止めた者は、孤独ではないのだから、時計の針を止めた者の気持ちを察して、悲しみや無念さなど考えることもなく、笑顔で一言、良かったね天国へ行けて、これだけを声に出し、かけてあげればよいのです。
但し、孤独ではない者は、天国へ行く者だけであり、地獄へ行く者は、全て孤独な者達であるから、あなた方が、亡くなった者へ涙を流すということは、寂しさから泣いていると思っているだろうが、実は、その者が、地獄へ行ったと、あなた方が知って泣いていることを覚えておくと良い。
時計の針が止まった時が、この世の右の道から離れ、天への右の道を歩く者となる時であり、天へ行き、裁判官が右の緩やかな坂道へ手を軽く向けられ、その方向へと進み、天国の門の前に立ち、最後に、そこで一度振り向くかどうかを己に問い、そして、天国の門を潜り、神となるのです。
亡くなった時が、右の道の歩みの終わりではなく、右の道へと歩く事の終わりは、天国の門を潜った時を言っているのであり、それまでは、右の道を常に歩き進まなければならないが、それは、生きている時に歩く右の道では気が付かなかったが、天の入り口から入ったならば、とても充実した日を過ごしてきたことを知る。
人は誰かから、必ず、何かを持ち去って行く、右の道を歩く者が他者から持ち去る者は、困窮や苦しみや悲しみであり、仁というに相応しい行為である。
人は誰かから、必ず、何かを持ち去って行く、左の道を歩く者が他者から持ち去る者は、他者を惑わせ持ち物を奪い、他者の持つ安居楽業を奪い捨て、愛すらも傷つけ奪い取り、捨て去って行く、巧言令色と他者を貶めて歩く。
左へと歩き、時計の針を止めた者には、天で待つ裁判官の前に座った時、裁判官から、今生に生まれてから亡くなる日までを走馬灯のように一瞬で映画のように見せて頂け、左の道を歩いた己を責める。
裁判官からは、右へ行きますか、左へ行きますか、と優しく聞かれ、肉体という悪が無くなったあなたは、善の塊であるが故に、左へ行きますと言って、左の地獄の門を潜って行くが、善の塊であるため、振り向くこともなく、死臭と暗闇の千年の地獄へ入って行く。
今生で生きている間に、このようなことを聞いても、それは輪廻転生時に決めて来た韻文ではなかったのだろうかと、蒙昧の如き想像をすることだろうが、散文の如き好き勝手な物語を書けるのではなく、これらはあなたが決めてきたことなのです。
何度も言うが、あなたが輪廻転生時に決めてきたことを、あなたが、ここに来て知った今も、適当にしか歩かず、今日は右へ進んだかと思えば、明日には左へと酔歩蹣跚の如く、その日の気分や酔いに任せて歩いて行っているようではならない。
あなたが輪廻転生をしてきたのは、罪の償いをしに来たというのに、そして、そのことを知る者と成れたというのに、行為に移すことを、徳を積むことを、他者を助けると決めてきたことを、すぐに忘れては、瘋癲の如くぶらぶらと短い時間を無駄に使い、己の得にしか傾かない天秤にかけて、どちらが己にとって得なのかと、必ず己の得につながる方にしか傾かない天秤を見つめている。
右へ行きたいんだ、右へ行くんだと口先ばかりで、足は左へとゆっくりと進んでいるのは、俗世で己に甘い蜜を舐めさせる者たちの責任だと言わんばかりに、己が右へ行けないことを、他人や周りの出来事の責任にしている。
右の道を歩かねばならないこと、右の道を歩くことで困窮する者達、倒れる者達を救いながら、一つ、また一つと、罪の償いを終わらせ、徳を積んでいけるというのに、そのことを覚えてはいても、分かってはいても、自分に言い訳をして、いつの日にか忘れていく。
いつの日にか、この世で生きている時間の儚さ、刹那さに驚かされて、その時になりようやく気が付き信じることができ、右へと進むと強く誓っても、その誓いを果すことなく、その日は己で決めてきた時計の針が止まる日であることだろう。
罪人であるから、天国へ行かなければならないのであり、その為に輪廻転生を行い、この世で何を行うのか、どのように過去世までの罪を償うのかを決めてきたというのに、それをさせないと立ち向かう、肉体という悪に負けて左の道へと行く痴れ者よ。
肉体の言うことには耳目を閉じ、地獄から出た時に蛍雪の功の如く学んだことを、輪廻転生をしてきて、今日という日まで忘れてしまい、今生でも罪を犯しただろうが、それら含め過去世までの罪を償うために、今があるのだから、明日からではなく、今から、肉体に負けず、善の塊である魂に肉体を操作させ、他者を助けて歩くのです。
言い訳はやめなさい、一つの言い訳は、一つの悪行であることを知り、己の肉体を庇うことはやめるのです。
うわべで取り繕うと考えるだけで時間の無駄であることを知っているでしょう。言い訳とうわべの言葉は同じです。
あなたが棺に入った時に、あの時の言葉を信じてみて、そして行為に移して見ていれば、と嘆いても、時計の針はあなたの決めてきた時刻に、あなたの心臓の鼓動を必ず止めるのです。あなたが決めてきたことで唯一守れたのが、その時であったということにはならないように。
また、地獄へ行くという者に、最後に言っておこう。恐ろしい地獄と、罪の償いとを、己の得にしか傾かない天秤にかけてみるがよい。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身